
「激しい」。2000年シーズンを振り返る時、そんな言葉が良く似合う。博多の森球技場が熱狂の渦に包まれた1年。アビスパの歴史の中でも最も熱く戦ったシーズンとして記憶に刻まれている。
1996年にJリーグに参入して以降、毎年のように下位を低迷し、1998年のシーズンオフに行われたJ1参入決定戦、1999年シーズンではギリギリのところでJ1残留を果たしたアビスパは、2000年シーズンを迎えるにあたって、当時アビスパU-18の監督を務めていたオマール ピッコリを監督に内部昇格させてチームの立て直しを図った。無類の負けず嫌いとして知られるピッコリ監督は「優勝を目指す」と公言。アビスパが「優勝」を目指して戦う初めてのシーズンとなった。
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